2014年12月

202: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/05/14(火) 22:06:44.87
数年前、6年生だった時の修羅場。その日は私の誕生日だった。

両親は飲食店経営してて、あんまり裕福ではなかったから、誕生日とクリスマスは高価な物を買ってもらえる日だった。
その日も朝からワクワクして、店の裏にある小部屋で、4歳下の妹と待機してた。
祖母もお祝いに来てくれて、三人で静かに本を読んだりゲームしたりしてたんだけど、突然。
妹がひきつけを起こした。
背中を仰け反らせて唸り出す妹。祖母は小さく悲鳴を上げ、私は頭の中が真っ白。
訳が分からないまま、父のいる厨房に駆け込んだ。でも、言葉が出て来ない。
「〇〇(妹)が、〇〇が、」と繰り返す私に、不審に思った父が「〇〇がなんや!?」
ようやく、「〇〇が変!!」と言った私を見て全てを察したのか、父は仕事を放り出して小部屋に飛び込んだ。
必タヒに妹の背中をさすってた祖母と、痙攣する妹を見た父、ホールに向かって「お母さああああんッ!!」と怒鳴る。
すぐに母も飛んできて、祖母と交代。父は救急車を呼びに行った。
その間、私は恐怖のあまり部屋の隅で震え上がってた。
救急車が来て、一緒に病院まで着いて行って、祖母と二人待合室で、店を閉める為に残った父が追い掛けて来るのを待ってた。本当に怖かった。
そして、かなり遅れて来た父が、「誕生日プレゼント買いに行こか」と言って、欲しかったゲームソフトを買いに連れて行ってくれた。
その後は祖母の家で待っているように言われて、とりあえず大人しくしとかなきゃいけない、と思って、買ってもらったゲームをしてた。
その時炊いていたらしい生姜のきつい匂いを、今でもたまに思い出す。
妹はすぐに回復した。

続きます。

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113: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/05/13(月) 23:20:25.20
小学校5年の時、目が覚めたら病院だった
小学校3年のはずの弟が、小学6年生になってた
事故に遭って、過去3年ちょっとの記憶が完全に消えてた
どう考えても、今は小学5年の夏休みのハズだった
実際は中学2年の冬だった
中学に行っても、先生にも見覚えないし、クラスの半数は知らない人だし
当然授業にもついていけなくて、ストレスで500円玉大のハゲが出来た
身体も自分の知っている体じゃない状態で、心身ともに疲れ果てた
親が家庭教師をつけてくれて、ほとんど自宅学習で3年分の遅れを取り戻し
一般入試で遠くの高校に入った
そこでは記憶喪失(退行性記憶障害)の事は一切話さなかった
頭に強い打撃を受けると良くないというので、体育には出なかった
高校の友人と話が合わない部分は、(記憶が無い期間に流行ったもの等)は
「あー。多分その頃入院していてテレビ見てないかなー」で誤魔化した
一応身体が弱いって事になっていたので、それで納得してくれた

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54: 現在進行形修羅場 投稿日:2013/05/13(月) 20:24:12.75
流れ読まずに投下します。

私の旦那の弟の嫁(義弟嫁)は15歳にして妊娠し、高校入学してすぐに退学したという歴史をもつ。

その息子(義弟子)が15歳にして厨二病を発症。しかもかなり痛い
(例:俺の体内には悪魔の血が流れている。だから俺には能力がありこの右目には人間に住む悪魔が見えるんだ。早く聖なる乙女と出会って世界を旅するんだ等)
そんな時私の妊娠発覚。
一度流産を経験した為、大事をとって自宅にて安静にすることになった。

妊娠4ヶ月入ったかなくらいの時。義弟嫁と義弟子が私の様子を見に来た時。事件はあった。
義弟子、私を見るなりいきなり殴ってきた。
必タヒにお腹庇ったけど、庇った姿を見るなりますます殴る手に力を篭める義弟子。止めないでニヤニヤする義弟嫁。

あまりの痛さに気を失って、気がついたら病院のベッド。

流産してた。

同時に、子宮を摘出した話を聞いた。お腹を相当殴られていたらしく、痛々しい跡がお腹いっぱいあった。


これが第一の修羅場。

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30: 1 投稿日:2013/05/13(月) 14:24:39.08
介護関係の修羅場です。

私の両親は子供sageをしまくる人だった。
普段は優しくて理解ある良い父母だけど、外では子供を貶す。
内容としては、如何にも笑いを取る為のオチみたいな感じで、
悪意は感じなかったしまあ許容できる範囲内ではあった。

やがて私も姉弟も家庭を持って独立した。
両親は年を取り、身の回りの事が困難になってきた。
物忘れが激しいと云う事で病院に行くと、認知症ではなかったが
かなり脳にも体にもガタが来てきて危ないかもとの事。
私夫婦は偶然私実家から数駅の所に居を構えていたので、
私が時々見に行く事になった。
すると、思っていた以上に生活(お金じゃなくて)に困っていた。
これはまずいという事で、ほぼ毎日に通う事に。
中学生の子供もいるしパートも辞めなきゃいけないし、
近いと云っても自転車で行けるような距離でもない。
正直ヘトヘトだった。
それでも両親はいつものように対外的には私をsage続けた。
(三人でいる時にはとても感謝してくれる)
両親的にも急速に老いていって出来ない事がどんどん増えて、
プライドの高い人達だから凄くイライラしていたんだと思う。
私も、娘の悪口で発散できるならまあ良いか…と思ってた。

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908: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/06/03(月) 15:23:58.86
他板で見た愛妻?弁当話
日の丸弁当ばかりを作る妻に「もうちょっと別のが食べたい」と要求したら
次の日の弁当は白飯の上に青海苔と刻み梅で描かれたイタリア国旗だったという・・・
以来、一向におかずは登場しないが、国旗のバリエーションだけは増えているらしい
以前白旗弁当を渡されて「私たちの関係も白紙にしようか」と言われたことがあるそうで
この旦那は大人しく国旗をいただいているらしい

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768: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/06/03(月) 07:45:51.92
彼からプロポーズされた時「料理が苦手どころか全然できないけどそれでもいいの?」って聞いた。
でも彼は「俺と結婚してくれるなら毎日お茶漬けでもいい!」って言ってくれたので嬉しくてOKした。
だからって本当に毎日お茶漬けだしてもいいなんて思ってなかったから、
結納から結婚までの間に、ばあちゃんに教わりながら料理の特訓して
一応、定番と言われるものぐらいは作れるようになって、ばあちゃんにもこれで大丈夫って言われた。
そして結婚して一ヶ月も経たないうちに、想定外の事が起こった。
彼の職場は独身の人以外は殆ど愛妻弁当らしい。
思ったより料理できるんだから、自分も愛妻弁当を持っていきたいと言い出した。
まだそこまでスキルが高くないし、出社時間が早いので(6時半)大変だなーと思ったけど
毎日5時前に起きて頑張って作っていた。
おかずはだいたい3品から4品で、1品は必ず卵焼きを入れていた。
お弁当には卵焼きだと勝手に信じていた。
3ヶ月ぐらい経ったころ、帰宅してお弁当箱を出しながら彼が
「おまえなー、卵焼きって言ったってもうちょっと工夫できない?」と言った。
それでスーパーの惣菜コーナーで見て回ったら、浅葱をを刻んだようなものを混ぜてるのがあったので
次の日、それをやってみた。

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736: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/06/02(日) 18:31:28.72
他の人と比べるとプチだけど…

もう何年も前の話、父親が風○に行って家庭内が修羅場になった。
しかも原因は私、というか私に似た女性。

私当時働きながら学生、女。実家の隣県で1人暮らし中。
父母50代と40代。妹10代。

私によく似た女性がある風○店のサイトに出ていたのが原因。
実家のポストにその女性が出ている雑誌のコピー、サイトのプリントアウトが投函されていたらしい。
「娘が都会でとんでもないことになった」と思い詰めた父が「とにかく確かめよう」とその女性を指名してお店に、母親にばれて家庭内が修羅場。
母親激怒して暴れて家出した。
父曰く何もしていないとのこと、でも「その手の店に行ったこと」で、母親が戻ってきた後もしばらく無視されていた。
多感な10代だった妹にも汚物扱いされていた。

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694: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/06/01(土) 22:31:35.50
数ヶ月前から胃痛があった。
病院で検査したら「慢性胃炎と胃潰瘍」の診断。
お薬出してもらって経過観察と定期的に病院に行くだけでよかった。
一昨日、病院から電話で呼び出された。
昨日の仕事の関係で午後診に予約。
そこで医者に「胃癌の可能性が高い」と言われた。
どうやら胃潰瘍の部分の細胞を検査に回していた結果が一昨日に出たので急遽の呼び出しだったらしい。
病院出て泣きながら母に電話。
両親ともう一度医者の話を聞いてようやく実感が湧いた。
多分両親の修羅場はここなんだろう。
すぐに職場に行って上司と相談。
今日からしばらく休職。
いろんな人に心配掛けて迷惑かけてる。
家族といるときには笑ったり普通にしてるけどいろいろ考えてしまう一人になったときが私の修羅場。
月曜日に専門の病院行って検査結果聞いてからこれからのこと考える。
明日からも頑張るって意志表示込みでの書き込みでした。

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724: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/06/02(日) 16:54:57.66
自分の最大の修羅場、ちょっとフェイクあり。

私は某情報産業で働いているのだが、
仕事のため海外に行き象を撮影をすることになった。
数名のクルーで出発、象の保護施設で順調に撮影していたが
その撮影の主役になる人が「子象だけの画がほしい」と言い出したので、
子象だけを2匹ほど連れて、施設の駐車場のようなところで撮影をしていた。

しばらく撮影をしていたら、子象は心細くなったのか情けない声で鳴き始めたが、
「あ~もうちょっとだからね~、っつっても日本語わからないか」
と我々は和やかに撮影を進めていた。
しかし、あとちょっとで撮影が終わるなあ、というときに、
ドドドドドという音がして、数匹のでかい象がこちらに向かってきた。

駐車場の柵にガンガン体当たりしてきて、これはヤバイと思っていたら
柵は金物を編んだようなものだったのであっけなく破れてしまった。

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719: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/06/02(日) 16:24:37.38
7才の頃の修羅場

当時私7才、弟1才と、少し年の離れた姉弟だった。
年が離れてる上、よちよち歩けるようになった弟が可愛くて可愛くて堪らなかった私は、いつも一緒に手を繋いで歩いていた。
家の隣が立体駐車場だったので、よくだだっ広い屋上(田舎なので滅多に車がない)で遊んでた。
その日もいつものように、弟と手を繋いで仲良く屋上へ行こうとしたんだが、いつもは車が使うスロープをゆっくり歩いて登っていくのに、
その日に限って弟が階段がいいと駄々を捏ねた。
愚図る赤ちゃんを諌める術を知らなかったので、しょうがなく螺旋階段を使って屋上まで行くことに。
一階分くらい登ったところで、ふいに弟の手が外れ、来た道の半分くらい弟が転げ落ちた。
慌てて追いかけると、階段にポタ、ポタ、と赤い水滴が。
慌てて顔を覗き込むと、弟の額のど真ん中に小さい穴が空いていて、血が溢れ出し顔中真っ赤っか。
驚いて固まってた弟が、火がついたように泣き出したのを機に私もハッとし、
弟を背負って家まで猛ダッシュした。
「◯◯が!◯◯が!」と血みどろで駆け込んで来た私達を見た祖母達が第一の修羅場。
その後買い物に行っていた母が戻り、先に救急車で運ばれた弟の元へ駆けつけた。
その間、家で留守番していた私は、自分のせいで弟がタヒんでしまうんじゃないかと泣きじゃくっていたのが第二の修羅場。
病院から戻った母が怒っているように見えて、嫌われたんだと思い、「ごめんなさい…」と一言言った後は弟について何も話ができなかった。
何針も縫ったが、弟はその後順調に傷も治り、若干傷が残ったが何事も無く無事成長。
私が小4の時に急病で母が亡くなったが、結局最後までその事故のことは話すことが無かった。

長すぎるので切ります

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