子ども

807: 名無しさん@HOME 2014/02/06(木) 17:17:42.91 0
4歳の息子が仏壇に置いていた旦那のお骨を庭に全部捨てやがった。
入れ物が欲しかったらしいが、仏壇・お骨にには絶対に触れるなときつく言ってあったし、近寄れないようにケージもしてたのに壊して。
絶対に許せない。

何もやる気になれずもう1週間寝込んでる。
義母が息子に対して殺してやる!と暴れていたので義実家に息子は置いてきた。
さっさと殺されればいい、お骨は捨ててやる。
と考えてしまっている今が修羅場。

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9: 名無しさん@HOME 2014/01/15(水) 15:18:37.76 0
人がいなそうな今のうちに

夫(今は元)が娘にとんでもない名前をつけようとしたのが修羅場
もっと言うならそのとんでもない名前で作成した用紙を私の留守中に
役所まで持っていこうとし、本当に窓口ぎりぎりで止めたのが最大の修羅場

窓口に立ってたのがたまたま私の親友で、以前から娘の名前で揉めていると
相談していたのが功を奏し、「これ本当に(私)も同意してるの?」と
数分だけど止めてくれたらしい
職員が少なくて窓口の待ち時間が長かったらしいのも幸運だった

ちなみに元夫が子供につけようとした名前は「歩照美子」で「あるてみす」
DQNネームつけようとする馬鹿って発覚した時点で離婚したかったけど
去年浮気の証拠ががっちり掴めたので旦那有責・慰謝料養育費を一括で毟れた
娘は漢字一文字、音は2音の普通の名前をつけました
今は親子2人、私の実家で平和に暮らしています

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691: おさかなくわえた名無しさん 2014/01/29(水) 15:14:44.40 ID:ybLiKcBh
まだ自分がハイハイをしていた頃。
車で数時間の場所に住む親戚宅で猫との初遭遇イベントを迎えた。
大人はこの毛むくじゃらと私が戯れるのを期待してビデオを構えているが
少し考えてみて欲しい。
彼らが愛らしいと称するこの毛むくじゃら、体高がハイハイ中の私とさほど変わらないのだ。
しかもなんか動きが俊敏。可愛いというか普通に未知との遭遇である。これ可愛いのか?
猫と睨みあう事暫し。
可愛がるのが普通の反応なんだろうと結論付けた私は緊張しつつも猫に近付いてみることにした。
が、あろうことか奴は私が腕に力を込めたと同時、こちらへと進撃を開始したのだ。
ちょっと待て猫とやら。今そっち行くから待てって、まだ心の準備ができてないっておいこっちくんな速いなお前!
這う這うの体で床の間に逃げ込む私。段差10センチ。
物ともせず乗り上げて鼻先を押し付けてくる猫。私ギャン泣き。大人爆笑。

これが私の猫好きの原点である、と上記の話を仕事場でしてたら
念の為に検査を勧められ発達障害と診断受けたのがスレタイ。
言われてみれば思い当たる節がゴロゴロ。
仲間内で酒の肴にされるほど私生活でのウッカリが多いんだけど、それも典型的だとさ。
私は知らない内に自分の特性を仕事にしてたし周りにも恵まれて幸せな方なんだろうけど、まさかの衝撃だった。
他は両親の不和に基く嫌な感情のフラバが多いけど、一升餅を背負わされた時の記憶もある。
無理無理言われてムキになって初たっち→ひっくり返ったアホの子だった。

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726: 名無しさん@HOME 2014/02/27(木) 16:19:55.94 0
流れぶったぎりすみません、フェイクあります。
20年くらい前の修羅場。
同時まだ小1だったわたし、某有名スイミングスクールに通ってた。
帰宅してランドセル置いて、スクール指定のカラフルなリュック持って、
派手な色のスクールのバスが来るバス停
(片側3車線ある大きな道路沿い、後ろはパチンコ屋)でバスに乗って通ってた。

うっかりが多いバカな子供だったので、ギリギリまで学校いたりするもんだから、
3分とか5分の差でバスが行っちゃうこと多数。
でも30分とか待てばまた次が来てた。
ある日、待っても待ってもバスが来ない。
多分着いた直前にバスが行っちゃってるだけなんだけど、
ボーッとした子供だったので、キョロキョロしつつも深く考えず立ってた。

突然知らない男性(20~30代、黒髪メガネの普通体型)にフルネームで呼ばれて、話を聞くと、
自分はスクールの職員で、いつものバスが壊れちゃったので別の車でお迎えに来てる。
向こうに車を停めてるのでついてきてほしい。みんな車で待ってる。とのこと。
バカな私はそのまま受け止め、その人についていった。

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468: 名無しさん@HOME 2014/02/23(日) 01:11:51.47 0
昔、親がカルトな宗教にどハマリした
有名な宗教じゃなくて、教団幹部10人くらい信者在宅含めて200人くらいのヤツ
俺が小学校に上がる前は、父親はどこかの商社に勤めていた
でもいつの間にか、退社して幹部の仲間入りして教団の宿舎に家族で入ることになった
俺が小学校1年の秋、兄貴が小学3年の時だった
初めは週に3日くらい小学校に行ってたけど、先生たちが教団に毎日学校にやるように言ってくれて
それ以降は学校に行けなくなった
朝ごはんの後は、教団の儀式をして教義の勉強会、その後は内職みたいな事をしたり
教団の裏の畑の世話や家畜の世話をしてた、鶏が怖くてヤギが可愛かった
母とも父ともほとんど顔をあわせない生活が続き
夜ベットの中で、兄がこっそり算数や漢字を教えてくれていた
一年くらいたって、兄が俺に「ここにいたらダメになる。父さんも母さんももうダメだ
お前のことを置いてはいけない、一緒に来て欲しい」と言ってきた
その頃には、俺も子供心に親が「あっち側」に行ってしまってもう元には戻らないって分かってた
ここにいたら、ずっと学校に行けなくて、教団内でしか生きていけなくなっちゃうんだ、って分かってた
明け方の寒い時間に、厚着して宿舎を抜け出した
畑を越えて、林を抜けると遠くに街に明かりが見えた
途中、兄におぶってもらったり手を引いてもらったりしながら、とにかく歩き続けた
線路のそばのバス停で、ガラガラのバスに乗って駅まで行った
兄が駅員さんに何か聞いて、電車が来て乗り込むまで、追っ手がかかってないか気になって何度も振り返った
電車を何本か乗り継いで、なんとなく見覚えのある駅についた
途中で、兄が何度か公衆電話から誰かに連絡をしていた

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89: 名無しさん@HOME 2014/02/14(金) 00:45:45.43 0
自分の中では今まで最大の修羅場だった話
汚い話注意です。少し長い

年長の時異常に保母さんに嫌われていた。
私の通っていた保育園は白米だけお弁当で持っていって、
おかずは園側が準備してくれて保母さんが配膳する形だった。
当時超小食で毎日食べられない量のおかずを配られ、
訴えても減らしてくれないし、お残しも許してくれない。
ついに限界を突破してその場で戻してしまうことが増えていった。

明らかに嫌そうな顔をしつつも、片付けるための雑巾をくれていた頃はよかった。
週に1度は戻すようになってしまって、ある日ついに
「そんなに吐いてご飯を無駄にする子は知らない。
 それ(吐瀉物)は食べて処理しなさい。
 お友達のお茶のコップにも入っているから責任もって飲みなさい」
と言われてしまった。
そして先生達は子供たちを寝かしつけるために教室を出て行く。

この時はまだ泣いてなかったのを覚えている。
お皿の上にぐちゃぐちゃに広がった吐瀉物を口に運んで飲み込み、濁ったお茶で流し込もうとして、机の上にもう一回吐き戻した時にキレイに丸く広がったのを見て、ようやく涙が出た。
そのあと他の組の先生が来てくれるまでそこでぼーっとしてた。
こういうことが数回。

他にも、園の餅つき大会で配られた餅が食べきれず、1時間くらい控室で餅と睨み合っていたら見かねたPTAの人がこっそり処分してくれたんだけど、
給食のおばさん伝いか何かで知られてしまい、こっ酷く叱られた上に、年中の子達の前で
「この人は年長にもなってお餅2つも食べられないダメな人です。なので今日からこの人は年中として扱います」
と言われ実際しばらく年中の教室に通わされてた。

親は何も知らなかったらしく、先日懐かしい話として話題に出したらすごく怒っていて、逆にこっちがびっくりした。
期間にして一年弱、この時期以上に心が濁ったことはない。
吐瀉物って、もう一回口に運ぶと、生ぬるくて何の味もしなくなることを学んだ修羅場。

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140: ◆cQb61W97kg 2014/02/15(土) 23:36:27.27 P
最大じゃないかもしれないが、記憶の中の最初の修羅場だと思う。

幼稚園のころ、細かい経緯は忘れたけど
リカちゃんの着せ替え服のミニカタログを持っていて、ひとりで眺めてるのが好きだった。
正式に何というのかわからないけど、リカちゃん人形を買ったら箱の中に入ってるような
カラー写真でワンピースとかドレスとか印刷してある、ジャバラ折りになってる小さい紙。
(私はリカちゃん人形は持ってない)

ある日、寝坊して私が幼稚園に行くまでにお弁当が用意できなかった母が
あとからお弁当を届けに来た。
料理の本に「子供が喜ぶおべんとう」として紹介されていたロールサンドというものだと思う。
耳を落としたサンドイッチ用パンにジャムを塗って、端から筒状に巻いて、ラップで包んで
端っこをモールで縛ってある。

そのロールサンドの外側に、私がしばしば眺めていたリカちゃん人形のミニカタログが
細長く切られて、巻き付けられていた。
すでにジャムで汚れていたて、捨てるしかなかった。

人形もドレスも買い与えられることもないカタログを
私がいつも物欲しそうに眺めてたのが、母には大いに気に入らなかったのだと思う。
欲しいと言った事はない。眺めるだけで私は充分だったのに。
母に愛されておらず、むしろ嫌われていると感じた一番最初のエピソードです。

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629: おさかなくわえた名無しさん 2014/02/18(火) 04:48:05.82 ID:UMAv5PCj
親戚のおっさんが不倫して失踪。
奥さんの仕事がナースだったから、生活は出来てたけど、子供が小学校卒業してなかったから、
夜勤とかの時に我が家で預かってた。
子供はそういう雰囲気を察知してて、わがままも言わず、それどころかどんどん距離おかれてるのわかって寂しかったな。
赤ちゃんの時から頻繁に会ってて、昔は呼び捨てにされて怒ったり、お菓子や花火を内緒で買って二人で食べたり遊んだりしてたのに、
敬語使うようになってしまった。

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522: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2014/02/06(木) 05:14:09.49 ID:n/6u2wO30
託児スレか迷ったけど、復讐が主な部分なのでこっちで。

私が5歳の時、父と母が離婚して私は母に引き取られた。
離婚理由は父に隠し子(以下A子)がいたこと、私と同じ歳の女児で、皮肉なことに二人共そっくりな容姿だった。
私が7歳の時に母が病死、母の両親も既に鬼籍に入っていたので、私は父に引き取られる事に。
当然、父の新しい家庭で私は邪魔者扱いで酷い扱いを受けた。
A子が可愛がられて自分が虐げられるのが辛くて仕方がなかった。
A子が自分によく似た容姿だったから尚更なのかもしれない。

で、A子は大学へ、私は高校卒業後就職して自立。
A子は19歳で男児(以下B男)を出産して大学を辞め、実家で仕事せずに暮らしていたらしい。
未婚なのは孕ませた相手がホストだったから。
A子が25歳の時に「運命の人に出会った」と子供を置いて蒸発。
「孫の面倒全部ミロミロ」と言われて、私は復讐を思い立った。

B男を引き取り、愛情を注いで育て上げた。
喧嘩もしたし、一緒に泣いたり笑ったりした、だた、恋愛事の相談には一切乗らなかった。
B男が小さい頃からわざと私に恋愛感情を持たせるように仕向けた。
「親」としてと「女」として、ギリギリのラインを考えに考えて発言、行動した。
B男はまんまと私の罠にはまってくれた、私に好意を寄せてるのが見え見えだった、それに葛藤している事も。
笑いを堪えるのが大変だった。

B男が18歳になった時に、「僕は母親としてではなく、ひとりの女性として貴方が好きです」とついに言った。
待ちに待った瞬間だった、何度も何度も頭の中で予行演習した言葉をB男に言ってやった。


「気持ち悪い、貴方をそんな風に育てたつもりはない」

この言葉がよっぽど答えたらしい、B男は大学受験に失敗し、今は祖父(私の父)の家でアルバイトしながら暮らしているらしい。
色白で背が高くて格好良いと言われていたB男は今はやつれて小汚い男になっているらしい。

もう3年前の話、40歳になるおばちゃんがお墓まで持っていく復讐話。

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612: おさかなくわえた名無しさん 2014/01/20(月) 18:41:43.47 ID:ZLPzhjdL
5年前の話だけど良いでしょうか?

当時はまだ彼氏だった旦那が、女子中学生を連れて帰ってきた時が、私にとって修羅場でした。

その子が真冬の夜の吹雪の中を歩いてる所を旦那が保護・・・というか嫌がる女の子(このまま死ぬとか言ったらしい)を強引に拉致してきたって言うので
「それ誘拐じゃん!!」ってパニックになる私w

旦那に「とにかくお前、一緒に風呂に入ってこい!」と言われ、なんで一緒に??と思ったけど、女の子の体に痣などが無いか確認しろって事だった。
ご飯を食べさせたりして数時間経って、ようやくその子が落ち着いて、継父のDVで苦しんでて、レイプされそうになって家出をしたと言う事を聞き出せた。

旦那がコネをフル活用(営業なので顔が広い)して、最終的にはその継父が塀の中へ。実母が目を覚まして女の子と他県へ引っ越しし解決。
その手際の良さに私が旦那にメロメロになって結婚しましたw

最初は面倒な事に巻き込まれたと思った、屑な私を嫁にした旦那も修羅場かなw

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