学校・教師

 
618 :名無しさん@おーぷん 2016/08/22(月) 19:39:13 ID:???
何十年も前の話だけど、ふと整理してたら卒アルが出てきたので思い出書き捨て。
小学生だった当時俺のいたクラスは良くも悪くも大人しい生徒の集まりだった。
授業中は大人しく聞くし普通に答えがわかる人は手を挙げて答える。おちゃらけて脱線させるような生徒もいなかった。
その反面運動会とかのイベントも黙々とこなすだけって感じで、率先して応援団やりたい!とか学級委員に立候補!とかが出ずいつも押し付け合いになって
しびれを切らした誰かが「仕方ないなあ。」って立候補するか、それもいない時は話し合いの時間切れが迫ってから担任が怒って「なんでこんなに協調性.がないんだ!○○がやりなさい!」って決定される。
そんな感じのクラスだった。
いわゆる面白味も可愛げも特にないクラスだったんだろうね。
そんなクラスの担任の十八番説教は既に卒業した前に担任してたクラスの生徒は素晴らしかった!だった。

合唱発表会ではみんなで張り切って自主練として朝練や居残りを先生が言わなくてもやってたし、委員長選びは5分で終わった(立候補がでた?)
授業でも先生がびっくりするような面白おかしいことが毎日あった!
お前らはなんでこうもやる気がないんだ!
だった。三日に一度くらいはこの説教はあった。
何か決まらないとかの問題が起きたとかじゃなくてもふと授業で話し始めたり。

俺達の中にはやりたがり系が壊滅的にいなかっただけの話でもあるんだけど卒業するまでずっと続いた。
その頃には諦めてさっさと立候補する固定メンバーもいたりしたんだけどね。
極めつけは卒業式が終わって最後の帰りの会。
それなりにみんな寂しかったり感動したりで泣いたりもした式が終わって先生の話を聞いて各々しんみりしながら帰宅します。
ってモノだと思ってたんだけどそこでも説教は相変わらずだった。
「卒業おめでとう。僕は2年間君たちの担任をしてずっと想いを伝えてきた筈だったけどついに届かなかった。
さっきの合唱(卒業生が歌うやつ)はなんだ!声がまったく響いてないじゃないか!
窓ガラスを声で割る勢いで歌えって言っただろう!
前の生徒は割れはしなかったけど窓ガラスがビリビリ震えていたんだぞ!
君たちがこれから謝恩会や同窓会を開いても先生は参加しません。締めくくりがこれだなんてな…中学では頑張りなさい。以上。日直号令!」
小学校最後の担任との思い出がこれだった。
担任には理想の学級運営があったんだろう。それに気付きながらもついて行かない生徒達。
しかし今になってもやっぱり先生のあの卒業式気分ぶっ潰しだけはなんか凄い担任に当たったんだなぁ。
って気持ちにしかならない。
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347 :名無しさん@おーぷん 2015/11/08(日) 03:50:20 ID:GuS
内容が内容なんで話半分で聞いてくれれば。

小学校から続いてたかなりハードな虐めを苦に中学で一人が自杀殳した。
マスコミにも情報を漏らさず、事態は学校の中で封杀殳された。

と言うのも、当時新任の校長先生が冗談抜きで修羅と化したから。
自杀殳した翌日に朝から全校集会、遺書の読み上げと黙祷、そして遺書に書いてあった虐めの犯人を公表。
学校自体サボってた主犯が親同伴で連れ込まれる。この時点で二時間経過。
犯人全員壇上に正座させられて徹底的な糾弾。遺書の内容を否定したらビンタというかパンチが飛んでた。

全員の顔と校長先生の拳がぼこぼこの血まみれになった辺りで全員が容疑を認めた。
そこから日々の生活態度から(校内でタバコと賭け事やってたとの情報も遺書に書かれてた)
どれだけの罪をやってのかをまた暴力込みで徹底的な糾弾。壇上に飛び散る血しぶき。
親と全校生徒の目の前で土下座しても「だからといって自杀殳した人は絶対に戻って来ない」
「お前達が全員命を落としても取り返しは付かない」「絶対にあってはならなかった」
「それをお前達は」とかまだ許してなさそうだった。

昼休みも終わった頃にやっと開放。給食が終わったら今回の事について無記名のアンケートを書けと用紙が。
主犯以外の親も校長室に呼んでた。どうやらアンケート用紙の答えを全部親に読ませてたっぽい。
そして自杀殳した生徒の親を呼んで、目の前で全力の謝罪の土下座を校門の前で。

これで許してたら変わってたかもしれない。でもその親達は「許しきれない」って言った。

それから犯人達は中学のフィールドワークと称して延々ボランティア活動をやらされてた。
朝五時から草刈り、終わったら夕方までゴミ拾い、夜は公共施設の掃除等。
その日から毎日犯人達を許せるか?とかいうアンケートを書くように言われた。

そんなこんなで、半年以内に犯人全員が腑抜けみたいな感じに、その内一人が自杀殳した。それからすぐに校長も自杀殳した。
遺書には例え虐めていたとしても若き生徒の芽を摘んだ事、アンケートの内容を改ざんして犯人達へ伝えてた事の謝罪が書いてあったらしい。

今でも犯人達は家にいるけど、何もしてないとの話。成人してから主犯も自杀殳した。虐められてた生徒の家は慰謝料で引っ越した。

あれだけ怒った人を今でも見た事なくて修羅場。
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425 :名無しさん@おーぷん 2017/10/09(月) 19:56:04 ID:f4u
なぜかふと思い出したので。
もう遠い記憶の彼方に引っ込んだ中学時代の話。
私は軽い金属アレルギーを持っていて、塗装されていたり錆びていないピカピカした金属は平気だけど錆びた金属をさわると一発アウトでかなり広い範囲じんましんが出てた。
学校側にもその事は報告していて、金属を扱うような理科の実験は記録係担当(一応実験の度に今日のはできる、できないを先生と同じ班の人に報告して記録係にまわる、他のはちゃんとやってた)、他にも金属に触れるような場面は徹底的に避けていた。
中学2年だったかな、それくらいの時に授業でガスバーナーを扱う授業があったの。
なんか使い方を覚えましょうみたいなの。
そのガスバーナーが見事に錆びていてどう考えても触れない。先生も1年生のときから受け持ってくれてる先生だったからすぐ、これは無理だろうから見学してなさいって言われた。
で、見学しながら炎の色の変化とか扱い方とか教科書と照らし合わせたり自分で気づいたことをメモしたりして授業後にレポート提出で実験参加した扱いにしてもらえるから一生懸命観察してレポートを書いてたのよ。
そしたら、同じ班だった男子Aが「お前何サボってるんだよ、お前もガスバーナー使えよ!」って怒り出した。
実験前にも言ったけど金属アレルギーで特にこんなに錆びてるやつだと確実に反応が出て蕁麻疹が出るから…ってもう一回説明したの。
そしたら、「そんなの嘘だ!俺のお母さんも金属アレルギーだけどじんましん出てるの見たことない!」って騒ぎ出した。
そして、「嘘じゃないなら触って蕁麻疹だして証明しろよ!」って腕を捕まれて無理やりガスバーナーに触れさせられたの。
先生も慌てて間に入ってきて、1年のときから申告が出ていて、いままでみんなが楽しいってやってた実験も羨ましがりながら我慢してレポートだけかいてたんだよ、ほんとに触れないんだよ。
アレルギーの症状は人それぞれだからねって説明してくれたの。
でも、Aは「嘘だ!今蕁麻疹出てないじゃんか!」って私の腕をつかんだまま騒いでたのよ。
でもそうやって騒いでる間に蕁麻疹が出始めてあっという間に全体に広まっていって周りの子も騒ぎ出した。
結局私はすぐ保健室直行で持っている薬を使っても治まらなかったからその日は早退するはめになって最悪だった。クラス中にぶつぶつだらけの姿見られたしレポートも仕上げられなかったし。
アレルギーで蕁麻疹ってかなりメジャーな症状だと思うのに、自分のママがその症状出てないからアレルギーじゃないって騒ぐのも神経わからないし、なにより無理やりさわらせといて実際に蕁麻疹出たらキモい!って火を扱ってる実験室で人を突き飛ばす神経がわからなかったわ。
復活して学校に行ったら、Aが「病気の子に無理矢理症状を引き起こさせといて暴力振るった最低男」って女子を中心にクラス中からシカトされていて、学年でも噂になっていてちょっと溜飲が下がったけど。
なぜ思い出したかわからないけど、もうAのことなんて思い出したくないので厄落とし?カキコ
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406 :名無しさん@HOME 2011/09/03(土) 16:20:01 0
中学校にかなり偏った思想の先生がいた。
うちの中学はかなり荒れてて問題児の数も多かったんだが、そいつは他の先生たちとは違って
問題を起こすやつらにも優しい顔を見せた(というか、特攻服とか喫煙とか飲酒に対して注意しなかった)ので
問題児のあいだでは人気があった。

ここからはまぁ想像つくと思うけど、この先生は問題児たちにさりげなく自分の思想を植えつけた。
(例えば、今の社会は間違ってるから他の先生に反抗することは正義だとか、君が代を歌うことは悪だとか)

そして中2病真っ盛りの生徒たちは、その年の卒業式での国歌斉唱の際、起立せず。
たぶんただ単に「世間に逆らう俺かっこいい!!」的な感じで歌わなかったんだろうが
3分の2は着席したままの卒業生の姿に来賓&教師たちは唖然。
自分は在校生としてその場にいたが、異様な光景だった。
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324 :名無しさん@おーぷん 2015/04/03(金) 14:03:47 ID:tnt
高校の時、体育祭でクラス毎に別々のTシャツを作った時の修羅場
クラスの中からデザイン案を募り、体育委員と実行委員達がいくつか選びクラス内投票して最終候補を決めるのだが
最終候補に残った生徒Aを担任が個人的に嫌いだった(言うことを聞かない、提出物が遅い等が理由)ので却下
担任のお気に入りの生徒Bが描いたデザイン案で勝手に注文書を出してしまった
Bが描いたデザインは、一言で言うと中二病全開
黒地にトゲトゲしい十字架と羽っぽいものと薔薇っぽいものが巻き付いてる絵が背中にデカデカと描いてあった
多少の修正はしてくれるものの、元の絵をかなり忠実にプリントしてくれる業者だったのでバランスは変だし線はガタガタ
胸元にはクラス番号から羽っぽいものが生えてるイラストが描かれていた

届いたTシャツを見て、「うわ…」と何人かが呟いた
男子はかなり露骨で「こんなの着て出るとか無理、俺体操服で出るわ」「俺はもう休もうかなー」とBに聞こえるように言っていた
Bはずっと下を向いていて、担任は素知らぬ顔をしてHRが終わる前に職員室に戻った
当然クラス全員で担任に抗議したが「Bが成績良くてデザインの能力もある事に嫉妬してるのね」と斜め上な事を言われ相手にされず
実行委員が学年主任や教頭に言いつけに行ったが「気持ちは分かるがBも一生懸命描いたんだし…」宥められるだけ
美化委員の子が活動中に花壇を見に来た校長を捕まえこんな事があった、と報告して「担任の自腹でクラス全員へ返金、AのデザインしたTシャツを購入」という措置を取られたのは本番前日だった
Aデザインのシャツが届いたのは体育大会の終わった4日後だった

そして本番当日、休む人こそ出なかったがクラスの殆どがクラスTシャツではなく体操服で出ていた
男子の中にはわざわざ裏返しで着たり、競技中に「だせぇ絵に合わせてもっとださくしたったww」と袖を千切る奴までいた
それを見て怒り狂い怒鳴り散らす担任に実行委が怒鳴り返し、Bは泣きながらトイレに駆け込みその後をAが追い、女子と男子で「いい加減にしなさいよ!」「お前らだってそう思ってんだろ!?」と言い合いが起こり、体育大会が一時中断される程の修羅場になった
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481 : 2008/04/28(月) 13:47:06 ID:Gh4KrqMc0
微妙に男女の修羅場を思い出したので投下。
物凄く長くなりました。ごめんなさい。
中学時代のいじめからの脱出なので、嫌な方は読み飛ばしてください。

登場人物:当時全員中2
     ○○、私。女子。いじめられっ子。
     A、中学から一緒の男子。同クラス。野球部。
     B、私と同じ小中学校。男子。他クラス。いじめっ子。サッカー部。
     C、同上。Bの取り巻き。バレー部。
     D、同じクラスの女子。ちょとだけ仲良かった。

小中学生の頃、男子にいじめられてた。
女子には無視されてた。巻き込まれたくないからっていうのと、
男子のいじめ内容に引いて遠巻きに見られてたっていう感じだった。
先生にも親にも相談した事はあったけど、毒親だったし
一時的に収まるだけでしばらくしてからより陰険に酷くなったので
自分のどこが悪いのか分かってて直せる所は直してたけど、
目つきが悪い、貧乏とかは直しようがなくて
生きててごめんなさい位の勢いでひっそりというか、
こそこそと生活してた(それもいけなかった)。

中2の時に何故かそんな私に親切にしてくれる男子(A)が現れた。
そのA以外の男子たちには蹴られたり水かけられたり散々な目にあってたので、
Aに挨拶をされたり教科書を見せてとか言われるだけで、私は怖くて挙動不審になってた。
それでもAは私に親切にしてくれてた。

なんでAは親切なんだ、怖い、何か裏があるんだと怯えていたある日、
私の美術の提出物(絵)が他クラスに紛れ込んだらしくて、
放課後に小学校の時からいじめに参加してたBとCが持ってきた。
Bはただ「これ紛れてた、誰の?」と、声を掛けるだけだったけど、
Cは絵をラウンドガールみたいに高々と掲げて教室中の人に見えるように見せびらかしてた。
ていうか、名前が書いてあってすぐ分かるはずだからそれもいじめの一つだったんだと思う。
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597 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2016/02/13(土) 13:45:42 ID:cwNBwXX2.net
「武」ではないが胸がスーッとした話。

キリスト教系の私立小学校で、当時としては珍しく中高と同じ教科担任制だったので、担任の先生に
教わるのは国語と社会だけで、算数、理科、体育、音楽、図工、聖書は別々の先生だった。

その中で、図工の先生の価値観の押しつけが激しくて、あるテーマで自由に絵を描くはずなのに
ちょっとでも自分の考えと違うとその場で画用紙を破られて、結局は皆ほとんど同じような絵を
描かされるような、無意味な授業だった。図工と音楽は、その道から専門家を講師として雇っていて
(私立はそういうことができるそうだ)、児童心理などはまったく無頓着な人のようだった。

ある日の授業で「家族」というテーマで自由に描けということになったが、相変わらず同じような
価値観の押し付けをしてきて、祖父母との思い出を描いていたら「何なのこの絵は!ふざけてるの!」と
破ろうとしたので「やめてください。祖父母との大切な思い出なんです」と初めて抵抗した。

その態度に先生は「あたしの授業に文句があるなら出て行きなさい!」と激怒し、私を教室を追い出した。
ちょうどそこに担任が通り掛かって事情を聞かれたのでこれまでのこともすべて話した。担任は図工の先生に
掛け合ったが「そんなふざけた絵を描いている子に教えるつもりはありません」などと息巻いていた。

担任の先生は「じゃあ、教室に戻ってその絵を完成させて、私のところに持って来なさい」と私を教室に戻した。
絵を描き上げて先生に持って行くと「この絵を先生に預けてくれる?」と言い、そのまま渡したら、先生はその絵を
県の美術コンクールに内緒で出展してくれた。結果は金賞、全国コンクールにも出品されて、そこでも金賞を獲った。

後日、そのことが朝の礼拝で発表され、壇上で表彰されて拍手喝采を浴びた。その件が関係するのかはわからないけど、
図工の先生は翌年は別の先生に替わっていて、楽しみの授業へと変わった。
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102 :名無しさん@おーぷん 2015/10/29(木) 06:48:00 ID:5hc
バスで隣に乗ってたJKのおな中らしい私服女の子が途中から乗ってきて話し始めた
上手く書けないんで箇条書きにするが、私服の子が言うには
・学園祭で料理部が模擬店で売るためにお菓子を沢山焼いて家庭科準備室においてた
・私服娘と悪友数人で先生を騙して鍵を借りて準備室に入り込んで保管してあったお菓子を食い荒らした
・翌日バレて犯人全員校長室に呼び出し問い詰められたけどバックレてた
・鍵を渡した先生や現場に忘れてきた物とかで犯行は完全にばれてたが
 私服娘と仲間達はバックレればいけると思ったのでバックレ続けた
・校長ガチ切れ
・泥棒の上に反省もしない生徒なんかいらん!お前等退学しる!
上記のいきさつを興奮気味に話した上で、「校長酷いよね!たかがお菓子で退学とかないよ!」
「私全然悪くないのに!」とバス中に響き渡る声で言い続ける私服娘が衝撃的だった

話し下手でスマン
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111 :名無しさん@おーぷん 2014/05/24(土) 18:32:46 ID:???
親が経験した修羅場。

小学校の修学旅行は毎年長崎1泊2日の旅程だった。
複数の町をまとめて1つの地区とし、その地区内の小学校が順番に同じ旅程をたどるという、先生たちからしたら何とも楽な設定になっていたのだが、
その年だけ例外が発生。
2日目に訪れる予定の島原市で普賢岳という活火山が活発化しており、一部住民が避難する自体になっていた。
しかし、メイン観光地である市内中心部は火山の影響はない!と学校側は判断し、地区の修学旅行は決行され、順番づつ長崎へ旅立っていった。
当時は毎日頭上を自衛隊のヘリが長崎方向に飛んで行くのを毎日見ていたし、なんだか異様な雰囲気だったのを小学生でも感じていたのに、今思えばよく決行したなと感心する。

お約束の通り、私の小学校が修学旅行中に普賢岳が大爆発。
この噴火で初めてのタヒ者が出るほど大きな爆発だった。
幸いその日、私たちは1日目の長崎市内巡りをしており、火山とは別方向にいたが、当時は携帯なんてない時代、
情報が満足に入ってこず、親たちから学校への電話と、学区内での混乱がすごかったらしい。
これはまだ小学校低学年だった妹から後で聞いた。普賢岳の事は覚えていない妹が、親や近所の混乱っぷりは覚えていた。
しかし、その頃の私たちといえば、島原市の一歩手前、雲仙の温泉に泊まっており、テレビ視聴が一切禁止されていたので何も知らず。
のんきにお土産選びやまくら投げとかして思いきり遊んでいた。

翌日、朝食の時に先生から普賢岳の爆発が発表され、2日目の予定が変更される旨の説明を受けた。
その話を聞いても「あー、自分らに当たったかー」と思った事しか覚えていない。
というか、その日はもう島原市は完全に封鎖されていて、道にカーキ色のつなぎ?を着た自衛隊が立っていた。ジープみたいなのもあった。

2日目の予定が丸々つぶれ、どこにも行くところがないため、雲仙の小さな公園で時間を潰した。
帰りは予定時間よりも大幅に早く帰ってきた。
戻ってきた小学校は、親や祖父母などの家族が沢山いて、何か凄い熱量で出迎えられて少し面食らった。そこまでなっているなんて当時は夢にも思ってなかったから。当人たちが一番冷静?だったんじゃないかな。
その日の夜は妹が私から離れなかった事をよく覚えているので、送り出した方は相当大変だったみたい。
オチなく長文スマソ
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282 :名無しさん@おーぷん 2016/07/19(火) 01:27:21 ID:ZSz
子どものころの衝撃体験。
フェイクありだし、記憶がおぼろげなところもあるので変だったらごめんなさい。

小学生のとき、すごく優しい生徒指導の先生がいた。
何か悪いことをした子がいたら、叱るんじゃなくて諭す。
私が特に覚えているのが、音楽室の黒板が落書きでめちゃめちゃに荒らされた時のこと。
掃除当番だった私たちがそれを見つけて先生に連絡。
子どもの数も多いし犯人なんか分からなかったんだけど、その先生は黒板の隅に
「誰でしょう。君たちはとても良い子たちです。それなのに、とても嫌な言葉を黒板に落書きして。」
「良いことではありませんよね。悪いことをすると誰かが悲しみます。今、先生はとても悲しい気持ちです。」
みたいな事を書いてくれた。すごくきれいな字の縦書き。
それ以来落書きはなくなって嬉しかった。
いつも穏やかに微笑んでいて、皆その先生のこと好きっていう印象。
もちろん怒る時もあったんだけどね。

でもある日、その先生が学校に来なくなった。
不思議に思っている内に親が学校に集められたり、テレビに校長先生が出てたり。
すごく学校中があわただしくなったことを覚えている。
まあ、早い話、先生が逮捕されていた。
しかも罪状が恐喝だった。
当時は恐喝なんて言葉よく分かってなかったけど、母に「怖い言葉で脅すことだよ」と言われて心底たまげた。
え、生活指導の先生だよね?嫌な言葉で黒板が荒らされた時、なんとかしてくれた先生だよね?みたいな。
おまけに、これはもうちょっと年齢が上がってから教えてもらったけど、余罪に性的なものもあるというあわせ技。

あのすごく優しそうな先生が…って思い出すとあの黒板の優しい字も思い出されて、すごく複雑な気持ちになる。
「何でそんな事を」とか「先生なのに」とか「あの言葉は嘘なのか」とか。
人って言うのは見た目では分からないし、裏で何考えて何やってるか心底分からない、得体の知れないものなんだって学んだ体験。
ふと思い出して、何か怖くなって吐き出してみた。
長文乱文ですみません。
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