宗教

  452: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/06/30(月) 22:38:22.55
じゃぁ、ここで雰囲気を変えるために自分が 
10年前に結婚した経緯を語ろうか。
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212: 本当にあった怖い名無し 2013/01/17(木) 14:38:21.51 ID:FcEruzpy0
友人Aは優秀な大学の法学部を卒業し、アメリカで修士課程を終えてから、一流企業に就職した。 
大学の頃からのガールフレンドのB子とは、結婚を前提に付き合っていた。 

Aが就職して既に6年経ち、本腰を入れて、結婚を考え始めた頃、 
B子が激しい頭痛を訴えるようになり、精密検査を受けた。 

検査の結果は脳腫瘍だった。


腫瘍はまだ小さかったが、B子は精神的に不安定な状態になりつつあった。 

手術迄の1ヶ月間、AはB子を励まし続けた。 
そのかいがあってか、B子は明るさを取り戻し始めていた。 

手術の前日、Aは、「弱気になったら病気に負けちゃうぞ、いつもの君らしく、強気でいけよ」と 
B子を励ました。 
意外にもB子は、「大丈夫、心配ないよ。とっちゃえばいいんだから」と明るく答えた。 

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419: 1/3 2007/12/28(金) 00:44:52
豚切ます。 
長文・宗教ネタなので、不快な方はスルーヨロ。 

コトメは、中東の人と結婚してコトメ夫と同じ宗教に改宗した。 
コトメ夫が貿易関係の仕事で、家を空ける度にコトメ子と一緒に 
車で1時間ほどの我が家に遊びに来る。 
宗教上の都合で、食べれない物があるので食事のメニュー変更を 
する事が多々あった。うちの子と同じ物が食べられないと 
コトメ子がかわいそうと夫とコトメも言ったし、私もそう思ったので。 

だけど、今回のクリスマスは譲れなかった。 
25日が平日でゆっくりプレゼントを見る事ができないからと、 
1日予定を早めて、24日の朝にサンタさんがプレゼントをくれるよと 
教えて、23日の夜にパーティをする事にした。 
5歳息子がはりきって、「妹ちゃんと飾り付けする!」と2歳娘の手を 
後ろから持って、クリスマスツリーの飾り付けをした。 
ツリーの上半分は飾りが天辺の星しかないバランスの悪いツリーに 
なったけど、仲良し兄妹に感激して私も準備に熱が入った。 
なのに、うちの夫は23日にコトメとコトメ子が家にくるのをOKした。 
クリスマスはキリスト教の行事で、コトメ達は参加できなくて 
かわいそうだからパーティは中止して、飾りも撤去しろと言ってきた。 
子ども達が楽しみにしてたのを見てて、何でそんな事が言えるんだと 
怒りで震えると「OKしちゃったから頼んだよ!」と逃げた。 

続きます。 

 
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227:愛とタヒの名無しさん2009/04/13(月) 07:25:11
この流れで思い出した昔の話。
自分だけがサムかったかもしれない話です。

身内の食事会は別にやったそうで、
友人中心のこじんまりした
披露宴と二次会を一緒にしたような
結婚パーティに新郎友人で招待された。

「お皿の裏にシールが貼ってある人に
新郎新婦からのプレゼントがあります」
と司会者がアナウンスした。
しかし誰も名乗り出ない。
司会者再度アナウンス。
誰も名乗り出ない。

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20: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/: 2014/09/23(火) 05:17:45.69 ID:VuMMQf2a0.net
宗教に嵌った父親への復讐

私の父親は宗教にどっぷりはまっていた。1にも2にもまず宗教。
私も生まれた頃から入信させられ、お守りみたいなのを持たされてずっと身につけているように言われた。
礼拝堂っていうのか、宗教している人が集まってお祈りしている場所。そこにも頻繁に連れて行かれてた。
小さい頃は理解が及ばず言いなりだったが、5歳くらいになると皆と違うことしている自分が認識できてくる。   

何より、神様神様と父親が言う割に、父親が毎日祈りをささげる神棚に神のかの字も見いだせなかった。
6歳あたりから酷く抵抗するようになり、同時に父親の暴カはじまった。抵抗すれば呼吸ができなくなるほど叩きのめされた。
宗教に関すること以外は子どもに感心を持たず、父親と遊びに行ったりだとか、参観日に来てくれたりだとか、運動会に来てくれたりだとか、そういった記憶が一切ない。
医者で急患があると家にすら帰れない母親の代わりに食事を用意してもらった記憶もなかった。
3日ほど帰ってこなかった母親の代わりに父親がしてくれたことは、「女なんだから家事やっとけよ」という言葉を投げつけただけだった。
父親は外面が良く、人様のためならなんでもする人だった。それが宗教の教えだから。
だから母親が家に居なくても、小1の私を置いてボランティア活動に日々精を出しては人々に感謝されていた。
ご近所から、「あなたのお父さんって素晴らしい人ね」と言われるのが苦痛だった。だから家出した。歩いて1時間くらいの母方の実家に一人で行って、ずっとじいちゃんばあちゃんに甘えてたと思う。
そのままじいちゃんばあちゃんの家に転がり込んで2年がたち、私は小3になった。
その頃になると、母親がこのままではダメだと思って、仕事を辞めてきた。すぐやめろっていう人もいるかもしれないが、当時は若い医者一人抜けることはそう簡単じゃなかったらしい。
そしたら父親、母親に対して「俺は平凡な平社員だ。お前が働いたほうが金になる。そこでどうだ、俺が仕事をやめて神様につかえて徳を積む。家族の分も積んでやる、皆幸せになれるぞ」と宣った。
母親ブチ切れて離婚届をつきだしたそうだ。それからは表向きそんな世迷い事は言わなくなった。
母親が家にいるようになってからは普通の小学生と同じように育ったと思う。土日に礼拝堂に連れて行かれることもなかった。
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