痛み止め

 
574 :名無しさん@HOME 2011/11/25(金) 18:59:26 0
麻酔で思い出した話。
小学6年の頃、図書館の本で初めて盲腸の存在を知り、そういえば
この本みたいにおへその右下が時々痛いかなーと思いつつも本みたいに
激痛にのたまうほどではなかったんで放置。

中学生になりあれ?これ激痛って程じゃないけど確実にいたいよね?
と学校を早退し学校近くの病院に行くが藪だったのか血を抜いて
痛み止めの点滴だけで終わった。

痛いけど我慢できる・・・?いや出来ない・・・?というような曖昧な
痛みを抱えていた矢先に弟が急性.の盲腸で入院。
何となく言い出せなくなり我慢しだす。
しかし3日ほどで我慢できなくなり、親に泣きつき、別の病院で
見てもらうとやはり盲腸。切った方がいいと言われたが、中間テスト
1週間前だったため、親の願いで、テストが終わるまで毎日痛み止めの
点滴をすることになった。

テスト終了後速やかに手術が執り行われ、局部麻酔を希望したんだが
手術台の上のライト?が光った記憶を最後に、気が付いたら別の部屋で
寝ていて、口には酸素マスクや点滴がされていて、両端には両親が
泣きながら控えていて「ごめんねごめんね!」と叫んでいて自分ぽかーん。

なんでも自分は腹膜炎を起こしかけてたうえ、点滴で痛みを抑えていた
せいか、膿だか水だかが腹にたまっていて、後一日手術が遅かったら
確実にタヒんでたとかで自分gkbl。これは自分も悪いんだが、普段から
仮病を使って学校を休みたがった子だったので、親はあまり盲腸というのを
信じてなかったらしい。それでも親は罪悪感で一杯だったので
当時出たばかりのスーファミかって貰うことでチャラにした事が自分的修羅場。。
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839: おさかなくわえた名無しさん 2013/06/02 01:01:28 ID:VdO6fbak
掘り炬燵やけどだけど、呼んだ?

多分ウチの母親の人生最大の修羅場だったと思う
掘り炬燵がどういう構造かは知らないけど、寝てたはず
らしい私がおそらく蹴り飛ばしたかなんかで、熱湯が
下半身にかかった
全身の3分の1以上やけどで程度も最悪な状態(なんだっけ深度?)
皮膚呼吸とか心臓が持たないとかで
覚悟して下さいって医者が言ったとか

ぎりぎり心臓が強くてなんとか助かったけど
生後半年の子に強い痛み止めも使えなかったらしく
1週間ほど昼夜問わず泣き続けたらしい
父と母が交代でおんぶして病院の廊下を歩いた

移植も何回か壊死して失敗したらしく、今でも
皮膚を取った痕がやけどみたいに残ってるし
やけど自体もかなりな範囲
一部だけど溶けちゃって四肢欠損だしね

多分母は死にたかっただろうと思う
本人は気にせず大きくなったけど、子を持って初めて
実感した気がする母の苦悩と重責

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