虐待

 
673 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2016/11/13(日) 19:29:01 ID:ueLVc3BB.net
小さい時からの親友夫婦がタヒんで、残された幼い子供を引き取った。
そしてその子が成人するまで大切に愛情を持って育てたつもりだったけど
虐待で訴えられた事。

意味が分からず、当時のホームビデオとか日記とか出せる証拠は全てだして
何とか裁判では勝てたけど凄くショックだった。

今でも何であの子がそんな事をしたのか意味不明、殴った事も無く、しかるのは
その子が危ない事をした事にのみ。(小さな時は道に飛び出すとか。大きくなってからは未成年で
タバコを吸ってた時とかは怒った。)

妻も自分も虐待なんてしないのに・・もちろん性的虐待も無い。
今では音信不通に・・・。すごい悲しかった。
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1 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/09/17(木) 02:09:13 ID:N5b6CdAZ0.net
結果wwww別れることになったでござるwwwwwwwwww
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804 :名無しさん@おーぷん 2017/01/02(月) 20:15:58 ID:wH9
新年早々、糞女と離婚に向けて動く事になった
娘が泣いているのに気づいて、どうしたのか聞いたら何でも無いと言う
そんなわけ無いだろうと根気良く理由を聞いてみたら、糞女にお年玉を全て取り上げられたらしい
今年からはお年玉は全て娘に管理させると話し合いが済んでいたし、娘にもそう話しておいたから、渡せと言う糞女に抵抗したらしい
そうしたら殴られ、渡さないなら今年はもう娘の食事は作らない、その金だけで生活しろと脅したらしい
脅されてお年玉を全部差し出した娘を更に殴り、俺に告げ口したら只じゃおかないと更に脅したそうで、お願いだからお母さんに言わないでと泣きながら懇願された
何も心配するなと言い聞かせて即実家に連絡して娘を預かって貰う手筈を整え、寝転がってテレビを観ていた糞女を徹底的に問い詰めた
最初は自分から預かってと差し出してきたと見え見えの嘘を吐いていたが、しつこく問い詰め、子供が大金なんか持つべきではないから取り上げたと白状させた
去年までのように、全て糞女の懐に入るのが正しいのだそうだ
因みに、糞女の懐に入ったお年玉の使い途はパチ〇コで、小遣いどころか生活費に手をつけ、家計の貯金は俺が目を光らせているから手出し出来ず、自分が管理すると主張して預かっていた娘の口座から全て引き出して注ぎ込んでいた
発覚後に辞めさせた筈だが、最近また復帰して当然のように生活費に穴をあけて、その補填+自分へのご褒美として接収したらしい
糞親を無理矢理呼び付け、離婚の意思と娘はこちらで引き取ると告げ、糞女を引き取らせた
糞親は、話し合いをとかもう少し落ち着くまで待ってと寝言を吐いていたが、娘への虐待は絶対に許せるはずもなく、糞一家纏めて追い出した
そのまま実家に帰って、
お年玉用の小遣い帳に書かれていたと同じ額を娘に渡して、糞女とは離婚すると伝えた
娘も離婚に賛成してくれたから、全力で離婚に向けて動くよ
それにしても、予定が変更になって早く帰宅したのは本当に幸運だった
予定通りなら、泣き止んでいたであろう娘の異変に気付けずにいたかもしれず、次の予定のために出かけてしまい、糞女にしてやられるところだった……
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960:名無しさん@おーぷん2016/03/02(水)02:04:28 ID:KCT
私は実の親が他界し親戚に引き取られたものの食事さえ与えられず育児放棄されていた
でも小学校低学年から中学校卒業まで近所の独身男性から食事を与えられお小遣まで貰ってた


いつかセイ的にお返ししなきゃいけないんだろうと思ってたけど何もされず、ずっと兄のような父親のような存在
その人は自営業で要はイラストレーターで在宅仕事
境遇の似た私に自分を重ねていたらしい


私の人生最大の修羅場はその人が近所で起こったサツ人事件の容疑者として捕まったこと
結局は別な人間が犯人だった
私は自分のことばかり考えて本当に一人になると思って怖かった
再会したときは足に力が入らなかった


私は高校には行かずにその人の家に押しかけ昼はバイトで働くようになった
やっぱりセイ的な関係には及ばず一緒に暮らして8年経った

そして結婚して欲しいんですけど、と8年お願いし続けた結果来月の7日に結婚することになった
刷り込みだと自分でも思う


そして彼にとっての人生最大の修羅場は普段は物凄く暗いと言われる私が先日寝てる彼を縛って無理矢理子/作りした時だと思う
貞子に食われると思ったらしいけど職場でのあだ名が貞子なので否定出来ないのが自分でもコメントしがたい
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244 :名無しさん@HOME 2014/06/29(日) 08:13:49 0.net
タヒんだと聞かされた母が迎えに来たとき

幼少期は父と祖母に育てられたが、父は私を育児放棄して祖母に任せっきりで碌に会話をした覚えもない。祖母は私を虐待していた。毎日殴られ、蹴られた。食事は一日に一回で茶碗一杯のご飯だけの時も良くあった。掃除、洗濯等の家事をさせられていたのは良く覚えている。
6歳の時、タヒんだと聞かされていた母が現れ、私を迎えにきた

祖母と母は取っ組み合いの喧嘩をしていた。父は傍観を決め込んでいた。ビール瓶で頭を殴られ血だらけになっても祖母と言い争っていた母は印象的で良く覚えている

結局父は親権を放棄して、以降私は母の元で育てられた。
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