PTSD

393: 名無しさん@HOME 2013/12/02(月) 10:45:06.85 0
姉が心病んでる今が人生最大の修羅場中

姉は30歳、ちょうど大学通ってる頃に福知山線脱線事故があったんだけど
姉はあの電車に乗ってた。
後ろから2両目の車両に乗ってたから頭ぶつけた程度で、
避難も近くの町工場の人に誘導されて移動した。
その後、JR職員が居なかったので大学行かず
近くの人と協力して避難や怪我人の選別、誘導
家族探す人の手伝いとかして【充実】した時間を過ごしたらしい。
人の役に立ってる!って実感とか凄かったって。
姉さ、すっごい役に立ったらしく怪我がひどかった被害者の人が
JR通して姉を探してお礼の手紙をくれたり、
被害者の講演会の手伝いに行ったりもしてた。

その後、PTSDの影響とかあって就職1年で会社勤め出来ず退社。
突然泣き叫び出すなど家族で必死にケア、最近はやっと治って一人でよく出かけてるんだけど、
用事も無いのに電車に乗ってて駅員に不審がられキセルで保護された。

家族が姉に説明を求めたら「また事故があったら良い」
「そうしたら以前より私は的確に動けるし」
「経験があるから絶対に役に立てると思うの!」
「人の役にやったあの日、私は凄く充実してた」
「私は社会の役にたちたい」って言ってた

結局、治ったように見えて姉が壊れてるんだよね。
俺だけ一人暮らしで家族全員家売って田舎に引っ越してったよ。
福知山線脱線がやっぱりダメなんだろうって事で。

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858: 名無しさん@HOME 2014/01/09(木) 17:29:30.08 0
スレチなのかもしれないがもう5年前だけど妹の旦那が浮気をして、色々揉めたけど結局離婚することになったんだが
実家に帰ってきていた妹に、離婚届を書いたので誰かと一緒でもいいから判子を押しに着てくれって言われて
妹が妹旦那の家に行ったらなんと妹旦那が首を吊って自殺していた、それを見た妹がPTSD発症して精神が不安定になった
最近ようやく妹の症状が落ち着いてきたので

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257: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2013/12/01(日) 09:47:01.73 ID:GEfPtbk4
事故繋がりで小学校4年生の時の体験。
2つ年下の妹と一緒にお菓子を買いに行った帰りに
少し先に見えてきた信号のない横断歩道で
近所に住んでるおばあちゃんがこちら側に渡ってくるのが見えた。
そしてそのおばあちゃんを原付が撥ねたのが見えた。
ビックリして走って行ったら、原付はひき逃げでもう見えなかった。
おばあちゃんはヒクヒクしてて、でもどうしていいかわからなくて
大声で「おばあちゃんが撥ねられましたーーーーーーー!!」と繰り返した。
そしたら近くの家の人が飛び出してきて救急車を呼んでくれて
警察も来て色々聞かれたけど、↑に書いたようなことしか答えられなかった。
妹は泣いて泣いて話が出来ない状態。
おばあちゃんは打ち所が悪かったのかショック性のものか分からないけど
運ばれた病院で亡くなった。
撥ねた原付はそのまま逃走していたらしい。

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354: おさかなくわえた名無しさん 2013/03/25(月) 08:45:49.73 ID:31WecD55
幼稚園かその前ぐらいの小さい頃、
母と買い物に行った帰りに近所のおばさんと会った。
道端で母とおばさんがおしゃべり始めて、なかなか終わらないので退屈だったから
そこらへんブラブラ探検してたら狭いビルとビルの間で人がうつぶせで寝ていた。
なんか色んなもんが飛び散ってて汚い所で、その人も汚れてたから
起こしてあげたほうがいいのかなと思って、軽く蹴ってみたけど起きないので
母を呼びに行った。
私に手を引っ張られてきてソレを見た母が絶叫。
で、警察が来たりなんだかんだで、世界が真っ赤っかになった記憶。
(パトカーの赤色灯のせいだと思う)

その後、母が死体(それもかなり酷い状態の)を見てしまったことによる
PTSDでおかしくなってしまって結構長い間入院した。
退院してから何故か私は母に避けられ、母は姉ばかり可愛がった。
あとで聞いた話だけど、母は私の顔を見ると思いだして発作が起きるんだったそうな。
当時の私は自分が目撃したものが何だったのか、はっきり理解出来てなかったけど
わざわざ母を引っ張ってきてそれを見せたことが相当ヤバイことだったのは
なんとなく理解できてた。
だから母は私を嫌うようになったんだ、と。
姉からも「あんたのせいでママがおかしくなった」って言われたし。
それで私は祖父母の家に預けられて、そこから小学校にもあがった。
姉とは違う小学校だった。
祖父母はとてもよくしてくれたし、週1ぐらいで父親も会いに来てくれて
ごめんな、ごめんなってよく謝られたのは覚えている。
それでも私は捨てられたと言う意識がすごくあった。
ある時、姉が通っていた小学校の運動会をこっそり見に行った。
父と母と姉が母が作ったらしいお弁当を囲んで楽しそうに食べてるのを見て
近くにあった砂場で、被っていた帽子に砂を詰めて
それをお弁当にバサーーーー!とぶっかけて、逃げるように家に帰った。
それから暫くは記憶はあまりなくて、
中学に上がるぐらいの頃に元の家に戻った。

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